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ホロス2050会員

未来会議①「第1章 ホロス2050とは?/BECOMING」全文

第1回ホロス2050未来会議「第1章 ホロス2050とは?/BECOMING〜世界はもはや「1984」の世界に突入している!〜」全文

■アーカイブ映像(限定公開版/1:39:04)

・01_服部桂_ホロス2050とは?

ようこそ、HOLOS2050未来会議にお越しいただいてありがとうございます。
とはいえ一体何の会議かわからないと訝しがってる方もいらっしゃると思いますので、主催者の一人であります私の方からお話をしまして、どんなものかとわかっていただいた段階で、みなさんがお待ちになっている、押井さんと若林さんにお話しいただきたいと思います。

私はケヴィン・ケリー氏の著書『<インターネット>の次に来るもの』(原題:The Inevitable)の翻訳を務めました。自慢話に聞こえますが、この本は最近大人気なんです。今日来ていただいた方も読まれてますか?未読の方は来ちゃダメとは書いてなかったですが(笑)
本書は、WIRED誌の創刊編集長であるケヴィン・ケリー氏が書かれた本で、今もビジネス書として多くの方に読んでいただいています。
それだけみなさんが興味を持ってくださるなら、我々もこういう会を作って本書をより深く理解し、本書を元に新しい世界を考えようという思いで、この会を発起しました。

ケヴィン・ケリー氏をご存知でしょうか?1993年にアメリカで創刊されたデジタルカルチャー誌『WIRED』の初代編集長をされた方です。
KK(ケヴィン氏の愛称)さんは不思議な方で、元々は60年代のカウンターカルチャー(ヒッピーやウッドストックに代表される反主流文化)に青春を過ごされ、アジアを放浪するなどして「僕はもう社会と交わらない」と考えて生きていたそうですが、80年代にパソコン通信の会議システムに触れることで、テクノロジーに対して真剣に考えるようになったそうです。
その後ハッカソンやサイバーソンという形でITと関わり、90年には世界初のVR会議を開いています。

スティーブ・ジョブズがスタンフォード大でのスピーチで引用したことでも有名になった『Whole Earth Catalog』という、カウンターカルチャーを象徴する雑誌がありました。ジョブズはこれに感化され、体制側ではなく自分たちでテクノロジーと社会を考えるという運動を支持します。
KKさんは、このカタログを作った編集者のスチュワート・ブラントに雇われ、80年代にパソコンソフトの評価をする雑誌などを手がける中で、テクノロジーを真剣に考えなければならないと思うようになりました。
当時、コンピュータは権力や体制による支配のための道具だという考えが多かった中で、KKさんは「これは使いようでは、人を解放し、つなげ、新しい形で社会を作っていくことができる」ということに気づきました。

そこで『HOLOS2050』という言葉が出て来ます。
KKさんは『<インターネット>の次に来るもの』を書くにあたり、未来のインターネット社会やテクノロジーはどうなるかということを具に調査し、その中から基本的な12の法則を導き出し、これから何十年か先のネット社会の姿を考えました。
そうした中で彼は、デジタルとは本質的に人と社会を変えていくものだという理解に至ります
2050年、およそ30年後の、人とデバイスが繋がった世界とはどういうものか。とても想像できないと思います。
30年前はどうだったでしょう?ネットを使っている人はほとんどおらず、メールでさえITオタクの趣味でした。しかしあっという間に技術は進歩し、我々の世界や考え方も変わりました。
(そうした変化がこの先にも起こるとして)KKさんは、この不可避な未来の象徴として『HOLOS』という言葉を生み出しました。

元々人は、未来をあまり心配しながら思い描きません。しかし実際はどうだったでしょう?
72年に発表された『成長の限界』や、A・トフラーの『第三の波』の未来予測は有名です。映画でも68年に公開された『2001年宇宙の旅』や、KKさんがコンサルティングされた『マイノリティ・レポート』で描かれた未来の中には、いまと近しい部分とそうでない部分があると思います。
人は未来がどうなるかということを、真剣に考えるときはありますが、期待した通りにならないというのもまた、歴史が証明して来ました。
ライト兄弟が飛行機を発明したとき、彼らは「これで平和が訪れる」と言い、ダイナマイトを発明したノーベルも「これで戦争はできなくなる」と考えました。なんという勘違いでしょう。
発明した当事者に、その意味や真価が理解されていないということもよくあるものです。インターネットでさえ、元は核戦争を生き延びるために生み出されたものでした。
未来のことはやはり誰にもわかりません。KKさんも、総合的な長期の未来ならまだしも、個別に何が起きるかは予想できないと言っています。

この会議では未来について、平和や経済や政治といった分野から、トップダウン的に考えるのではなく、生活や生き方といった身近なものから『<インターネット>の次に来るもの』のフィルタを通して、ボトムアップ的に考えていくわけです。
本書は12の章からなり、それぞれに『BECOMING』『COGNIFYING』といった名前がついています。つまり個別のテクノロジーについてではなく、デジタルが持つ力を理解する上で必要な考え方をあげています。
本会議はこれに従い、有数の方々をお招きし、毎月開催していこうとしております。

未来予測は占いとは違います。またあーだこーだと論を張るものでもありません。TEDの発起人であるリチャード・S・ワーマンが言うように「未来を考えることを考える」ようにしたい。なぜ我々は未来に興味を持つのかというようなことを、深く論議していければと思います。

・02_押井守スピーチ

未来を考えるという趣旨だそうですが、僕は特に未来を考えていないですし、今年66になるんで、どうやって終わろうかっていうようなテーマを自分で考えているんです。
なので今日ここで話すのには向かないんじゃないかとも、主催の方に話したんですが、先ほどの「未来を考えることを考える」ということだったらお話しできると思いました。

「未来」っていう言葉は、最初から色がついているわけです。イメージが必ずつきまとっている。何かって言ったら「素晴らしいもの」
時間経過とともに人間っていう存在、文化文明がどんどん高度に複雑に進化して、より高次の存在になっていくだろうというものです。
それは、ある程度は正しいかもしれません。昔と今で比べれば、あらゆることが複雑になっているし、高度に複雑な組み合わせの上に結果が出てきている。今日食べるものを今日探しにいくという時代ではないから、自分に物心がついてから、自分の一生というものを計算しはじめるようなことが可能になってきます。
一つ言えるのは、高度になるとか複雑化するとか、高次な段階に入ることと、それがイコール幸せになるということなのかという問題は別にあると思うんです。

20年くらい前『攻殻機動隊』という作品で、主人公の草薙素子と「人形使い」というネットの海で生まれた生命体、まあAIみたいなものなんですけど、この二人が融合して、より上位にシフトしていくとしたんです。要はアッチにいっちゃっわけです。
人間というものだけが、人間という存在、人間が置かれた世界について考える力を持っている、とされています。過去とか現在とか未来とかいう観念を弄ぶことができる。
うちには犬が一匹と猫が5匹いますけど、家に帰って彼らをみるたびに思うんです。この子たちって何て幸せなんだろうって。過去に囚われることもなく、未来を考えることもない。つまり死を考えることもない。そういう時間を生きている。
人間だけが、今存在しない未来を考えている。そのことが人間を幸せにするかどうか。という話を、私は是非したいと思ったんです。これ最近の自分のテーマでもあるんです。

若いときは、人間はどんどん進歩すべきだと思っていました。自分も含めて。
僕は、誰よりも頭が良くなりたいと考える小僧でした。ですが、自分が大して勉強ができないことが判明して、映画監督になろうと決心してからは、誰よりも素晴らしい映画を作ろうと思いました。
単に素晴らしいとか感動させるんじゃなくて、100年200年残るような、絶対的な映画みたいなものを妄想したんです。今は全く考えてない。
今どういうことを考えているかといえば、映画を作るという行為をいかに楽しむか。映画という表現と自分の間に、いかに幸福な関係を維持するか。そういうことしか考えていない。自分自身が映画になることを考えています。

同じようなことが、未来という言葉に関して言えるんだと思います。
人間はなぜ未来を考えるのか。なぜ考えるようになったのか。そのことからしか「未来を考えることを考える」ことは出来ないと思うんですよ。ややこしいけど。
見方を変えると、今より来年、来年より再来年と、人間と社会はより複雑に高度に、上位のものになる。素晴らしいものが実現する。そういうふうに人間が考えるようになったのは、大して古い話じゃないんです。実は。

例えばキリスト教。神様の手で作り出され、エデンの園で幸せに暮らしていて、そこから追放されて以来、人間の運命は悪化の一途をたどっている。世の中どんどん悪くなって、世界はますます悪に染まっていく。
そういった考えが、キリスト教の世界では当たり前なんですよ。つい100年200年前まで、欧米圏の人間はそういう世界観の中で生きていた。
仏教の世界も変わんないですよね。お釈迦様が死んで、何千年か何万年か後に世界は破滅する。仏教の場合、破滅した後にまた始まるとされていますが、56億7千万年後だそうです。
キリスト教の世界ではもう少し気が短い。1000年経ったら死者が蘇り、神の裁きが待っている。
期間はどうあれ、時間が経てばたつほど、人間は悪に染まるし、世界は悪くなっていくという考え方は、そちらが正統派だったんです。

『未来』という言葉で表される、右肩上がりに良くなっていくという思想はいつ頃生まれたんだろう。
僕が想像するに、ダーウィンが『進化論』を唱え、それが何十年かけて世の中に認められていく。そうした科学の進歩と軌を一にしているんです。未来という言葉の大半は、科学が作り出したものですよ。
ではその『科学』と呼ばれる世界が、人間の社会に取られたのはいつだったかという話なんですが、これまた起源は相当古くなる。
さっき偉い人の名前がたくさん出ていましたが、ついこの間生きていた人ばかりですよ、言ってみれば。100年200年なんて塵みたいなものです。
人間っていうのは、必ずしも『未来』という言葉が持っている素晴らしいイメージから出発してものを考えている限り、僕に言わせれば未来を考える意味はほとんどない。こうなってほしいなという願望に現実の辻褄を合わせようとするんです。

僕が若い頃『未来学』なんてものが流行ったことがあるんです。あの当時未来学を語った人も学んだ人も、未来がどうなるかを予測して、その未来から遅れを取りたくなかったと思うんです。遅れることで、自分の今の地位が危なくなるんじゃないか。当然滑り落ちたくない。あるいはもっと上昇したい。
それと同じレベルで未来を考えるのであれば、ろくなことにならない。そうやって考える人が、今までたくさんいたんです。
マルクスだってレーニンだって毛沢東だってポルポトだって、歴史上ひどいことやった人間はみんなそれ考えてるんです。
僕の数少ない……友人じゃないな。知り合いに鈴木敏夫っていう男がいるんですけど、あの男が面白いことを言ったんです。
「20世紀は『世の中は若者の力で変えることができる』という幻想が支配した時代だった。結果生み出されたのは、強制収容所と虐殺だった」
冷戦が終わり、社会主義がダメだとされ、1000年かけた実験が、何千万人の命と引き換えに失敗したように。ですね。
「未来を輝かしいものにするのだ。自分たちの力で。そのためにはこうするべきだ」
そこから先の問題です。大体ひどいことをやっている。
だから僕は、未来という言葉を一番警戒するんです。
「未来は明るい」という考え方自身が違っていないか?というところから出発して、是非考えていただきたい。

いつも言うんですが、ものを考えると言うのは、順番にしか考えられないんです。根本に返って考えるしかない。目先の問題が発生したところで、目先の問題は目先でしか解決しない。根本的に解決することはできない。
(今回のテーマの)根本に立ち返るとはなにか。
「未来は明るい」というイメージは誰が作り出したんだろう。

(ある考えによれば)遡れば遡るほど、人間も世の中も善良だった。そういう世界観の中を人間は生きてきた。だから中世は暗黒時代を生んだんだと言われれば、そうかもしれない。
ひとつ言いたいのは、どちらの考えも絶対的なものであるわけがない。そもそも、過去があって現在があって未来がある。この考え自体本当に正しいのか?
過去とは自分の記憶の中にしか存在しない。未来は人間の妄想以外の何物でもない。物質的に考えても、世の中には現在しかないんです。
現在を考える縁(よすが)として過去が生み出され、その先に未来を考えることで現在を考えようとする。順番としてはこうなることは間違いない。
リアルに考えるならば、うちの犬猫がそうであるように、今日という意識しかない。さらに言えば、過去だ未来だ現在だなんていうことは、人間の脳髄に宿った妄想にすぎない考えることだってできる。すべては妄想なんだというところまで一旦下がってから考えることにしてます。

では信じるに足るものとは何だろう。そこから先はまた未来の話と繋がるんですけど、私にとって一番大事なのは『幸福論』ってやつなんですよ。
人間はいかにして自分を幸福にできるか。自分が幸福になることで他人を幸福にするか。他人を幸福にすることで自分が幸福になるか。これ未来も過去も現在も、考え方は一緒なんです。
どこから入っても、行き着くところは同じ。だからどこから入っても構わないと思うんです。

あっという間に時間が来てしまいました。こんなんでいいのか?(笑)
まだ僕の言いたかったことの10分の1も喋れていないけど、何が言いたかのとっかかりは話せたと思います。
「未来を考えることを考える」ときに、迂遠に思えるかもしれないけど、その順番で考えないと、未来は必ず人間を不幸にする。私はそう信じています。

最後に面白い話をしましょうか。
『未来少年コナン』というアニメは知ってますよね。宮さん(宮崎駿)の傑作です。宮さんの作る映画は嫌いなんですがコナンだけは大好きなんです(笑)
それまで「未来◯◯」っていうタイトルは山ほどあった。なぜ未来ってつけるのか?ウケるからですよもちろん。善良なことがそこにあると思えるからです。
『正義の少年コナン』じゃないんです。『未来少年コナン』
実際にはポストアポカリプスを野蛮人として生きる少年の物語ですよ。どこが未来だよってなるでしょ?しかも機械文明全否定じゃないですか。
しかもコナンて何だっていったら、コナン・ザ・バーバリアンですよ。こんなに矛盾に満ちたタイトルあるかと。
かくあるように、未来という言葉は非常に複雑な使われ方をしているし、大方は誤解に基づいていいように使われている。その誤解を解く努力から、未来を語ることを始めなければなりません。

・03_若林恵スピーチ

本当に押井さんのお話が面白かったんで、僕の駄話なんかだと格落ち感ハンパなくて……辛ェ(笑)
僕はWIRED日本版の編集長をやらせて頂いてまして、ここデジタルハリウッド大学さんとか、今回の主催の服部さんとかが関わられるイベントにも、よく出させて頂いていて、そこで90年代のWIRED関係者や当時の読者の方とお会いするんですが、ぶっちゃけ怖いんで避けてるんですよ(笑)
だって絶対「今のWIREDはさァ」って話しされるんですもん。だから今日も参加者を見ると……辛ェェ(笑)

なので先に言い訳だけさせてもらいますと、小林さんがやってらっしゃった頃のWIREDって、立ち上がったばかりの非常にインディペンデントな雑誌としてやられてたんです。
日本版がなくなった経緯って皆さんご存知かもしれませんが、WIREDがコンデナストという会社に買収されるんです。これがユダヤ系の一族がやっている、非常に悪辣なメディアコングロマリットでございまして(笑)世界的に有名な女性誌男性誌を出しています。
ユダヤ人は商売勘はいいんで、ドットコムバブルがはじける頃に買ってるんです。その後クリス・アンダーソンという人を編集長に据えて発行されるんですが、その間日本はライセンスが切れて、発行はされませんでした。
僕はその悪辣なユダヤ企業の日本支部から雇われて編集長をやってるので、その立場を含んでお聴きください(笑)

僕はずっとフランス文学を勉強して、いわゆる文学だけのダメな文系で、理系のこととか全くダメですし、ITとか分かるフリしてますけど、よくわかんないんですよ。
ただ、わからないなりに面白いと思えるところもあり、ある意味後ろの方の読者(ライトユーザー)に近い位置でやれていると思っています。
キャリアの話をしますと、以前は『月刊太陽』という雑誌の編集部にいました。これが非常に反動的というか保守的というか、伝統を扱う雑誌でして、仏像の特集とか、白洲正子(随筆家。世阿弥、両性具有に関する著書多数)の特集とか、備前焼の窯元に取材に行ったりしてました。元々文系で歴史も好きだったので、たいへん面白かった。なので未来っていうコンセプトは、実際そんなに好きじゃないんです。

もう一個だけ、これ完全に与太話になるんですが。僕幼稚園の頃は、親の仕事の関係でロンドンにいたんです。今からは想像できないとおもますが、めちゃくちゃ可愛い男の子だったんですよ(笑)
ロンドン郊外の幼稚園に通ってて、一人だけ綺麗な黒髪のアジア人。しかもめっちゃ頭も良くて、周りの子より数段階先の勉強をしてたりしたんです。
で、僕のお誕生会なんかが僕の家で催されますと……すみません本当にどうでもいい話です(笑)。写真が残ってるんですが、何がすごいって、僕を挟んで金髪の女の子が右に4人左に4人、男の子はその向こうにちょこん。もうメッチャモテたんです。
別に幼稚園でモテたってどーでもいいんですよ?(笑)何が言いたいかというと、人生のハイライトがそこなんです。人生の頂点がそこにあって、明らかに下降してるんです。モテないんですから本当に。WIREDの編集長なんかやってても、別にモテやしないんです(笑)だから未来は好きじゃないって話です(笑)

ただお仕事でよく、コンセプトとして『未来』って出てくるんですよ。僕も便利なのでタイトルに使ったりするんですが、そこで「未来って何のことを指してるんだっけな?」っていうのは、すごい引っかかるんです。
会の冒頭で服部さんがご説明されていましたが、WIRED自体、俗に言うウェストコーストの楽観主義みたいな空気を背景に生み出され、今でもそういう……なんていうのかな、シリコンバレーが世界を変えるぜ!みたいなノリが色濃く残っているんです。
ただそれを日本に持って来て、その空気をそのまま出すのがいいことか、ビジネス面で共感してもらえるのか。押井さんもおっしゃいましたけど、日本人も欧米人のように、直線的な未来に明るいものを想像できているのかな?といった辺りは、頭を悩ませながらやっています。

ひとつ。僕が「未来ってそういうものかもしれないな」と思ったことがあります。
PayPalの創業者のピーター・ティールという人物がいて、彼の著書に『ZERO to ONE』という本があるんですが、彼はその中で未来について語っています。
「未来が価値を持つのは、今と変わっているから」というような部分があるんですが、僕もそこは納得するところはあります。
時間が経って状況が変化する。その差分こそが大事なんだと。変わっていないということは、今が続いているだけじゃないか。という考え方をされているんです。
僕がそれを面白いなと感じたのは、未来というのは先がどうなるかという話は、必ずしもされなくてもいいのではないかと思ったんです。
今との「差分」を考える。違う今を考えることはできないか。オルタナティブな現在を考えていくことが、未来を作っていくと言えるのではないかと思うんです。

今の仕事をしていて、いろんな企業さんからたずねられるんです。自動車産業の未来はどうなるんでしょうとか、家電の未来はどうなりますかねとか。門外漢の俺に聞くなよって話じゃないですか(笑) 彼らは2030年とかの長期的な未来を予測して、そのための技術とかを研究してやっているんでしょう。それもまた「差分を考える」という話ではあるんですけども。
僕は「予測」みたいなものにあまり意味はない気がします。もしかしたら「今」も違ったあり方があったかもしれないと考える方が、考えやすくて価値のあることかもしれないと思うんです。
例えば今、何かダメな物事があったとしますよね?それについて「ここがダメ」「何でこうなった」と言うことは考えられるじゃないですか。それをどうしていこうかと考えることで、いつの間にか今と違う状況を生んで、振り返った時に「未来ってこうだったのかな」と言えるんじゃないか。そんな気がするんです。

WIREDの標語に「未来は既にここにある」というものがあるんです。今あたり前と思っていることも、本当にそうなんだっけ?と思うところ。そこが「未来を探す」ということ。
未来の全体像を想像してーという話ではなく、ちゃんと今を疑う。という行為が未来を考えることなのかなと、僕は理解しています。

あー汗かいた(笑)

・04_パネルディスカッション_高木利弘 ディスカッション・テーマ説明

お二人のお話は「未来なんて大したもんじゃない」という論調でしたが、未来会議なんて大それた名前をつけて申し訳ありませんでした(笑)
本会の副題にもあります『世界は既に「1984」に突入している?』の1984とは、みなさんご存知かと思いますが、ジョージ・オーウェルの小説『1984』のことです。
(1949年にイギリスで刊行されたSF小説。全体主義国家により分割統治された近未来を描いた、ディストピア小説の金字塔)
昨年末アマゾンのベストセラー1位になったそうです。トランプ大統領の就任が影響したらしいですね。つい昨日も自分のことを調査しようというFBI長官をクビにしたそうですが、そうした好き勝手やる男が大統領になったことで、この本が注目されたようです。

『HOLOS2050』でやろうと思っているのは、とにかく今様々なことが絡み合ってわからなくなっている。ただそれを「わからなくなっているぞ」と説明している人がのさばっている。それって簡単なことじゃないですか。
でもそういう複雑なことも「こういうシンプルな法則で解くとどうなるか」というのを、この『<インターネット>の次に来るもの』では書いてくれています。
ケヴィン・ケリー氏は「俺の息子がこの本を読んでくれないんだ」と嘆いておられましたが、私も本を作って来た実感として、若者が本を読む時代じゃないよなと考え、ならどうすれば本書のことを伝えられるかと考え、こういう会を立ち上げたわけです。
なるべくこうした複雑な現象をシンプルに、わかりやすく解いていくヒントを提供したいと考えています。

まず、今の複雑な現象というものは、○と△で理解できる。というお話をします。
○とはインターネットのことです。ネットというのは、スイカやボールといった球体を包む網のことです。これと同じ構造をインターネットは持っています。それがすごいパワーを持って、世の中を動かしている。
例えばこのネットの線の一本が切れてしまっても、他所を迂回して繋がることができる。中央集権的な構造ではなく、水平分散的な構造のおかげです。中央に指導者がいなくてもやっていけるというもの。
このネットが地球上をびっしりと覆っています。ワイヤレスです。今この会場にも飛び交ってます。その飛び交っているものがネットを形作っています。
そうしたものが見えて来ましたか?見えた人挙手願います。はい結構です、素晴らしい。イマジネーションを駆り立てるというのは大事ですね。

そうしたネットワークが○をびっしり覆っている。では△は何か。言わずもがな、ピラミッドです。
実はインターネットが現れる前の社会は、すべてこのピラミッド構造でした。企業、学校、軍隊、官僚、マスメディア、国家。すべてこの形でやって来ました。
このピラミッドの特徴は、頂点にいる一部のエリートが考え、あとの下は手足でいいよという仕組みです。なぜこの仕組みが長く使われたか。指揮管理が容易なんです。
これが非常に効率が良かった。どう効率がいいか。命令一下で一斉に何かやるのに向いていたんです。つまりピラミッドとは、インターネットがない時代に、大勢で一斉に何かをさせるのに非常に効率的であったんです。

この形の問題点は、考えない人が多くあること。大企業など大きな組織にあれば楽かもしれませんが、考えないで自分たちで社会回そうとすると無理がありますね?

この命令社会をぶち破ろうとした人がいました。スティーブ・ジョブズという男です。
1984年に、ジョブズ率いるアップル社のパーソナルコンピューター『マッキントッシュ』が登場しました。その時のCMをお見せします。

>CM「1984」

今のCMに出て来た人たちは、いわゆる洗脳された人たち。それを解放するのがパーソナルコンピューターであるというメッセージです。具体的に何をしたかというと、それまで専門家しか使えなかったコンピューターを、誰でも使えるようにしたんです。そのメッセージを込めたCMも御覧ください。

>CM「The Computer for the Rest of Us.」

このCMの中に出てくる「For the rest of us」というのは、専門家じゃない人々を指します。この時にコンピューターという、企業や研究所などでしか使えないとされていたテクノロジーが、個人の手に渡ったと宣言したのです。それがずーっと進化してきてiPhoneになっていると思うんです。

それがどう世の中を変えて来たかというと、先出のピラミッド的構造が、小さくなって来たんです。マスメディアなんかを見ているとわかりますね。企業や学校の一方的な構造が小さくなっている。もちろん国家もそうです。
対してインターネットは、二十数年前の誕生以来どんどん大きくなっている。これが丁度拮抗したのが去年じゃないかと思うんです。どういうことか?

1984年にMacが誕生し、1994年にインターネットが商用化された。その時はピラミッド型の社会しかありません。
そこから三十年経ち、PC、ネット、スマートフォンが普及し、ボトムアップの力が世界をひっくり返すようになっている。専門家からアマチュアへ、命令型社会から会話型社会へ力がシフトしているんです。
そんな中、ネットの○の上で国家や企業といった△が揺れているんじゃないか。ネットがどんどん大きくなって、ピラミッドがどんどん小さくなっていく可能性がある。その流れの中で、△の大きさを戻したい人たちが現れる。他ならぬエリートと呼ばれる人たちです。
彼らは官僚的体制を守りたい。国のために働けみたいな。では国家とは何か、というのをもう一回考えていい時期である。それをきちんと考えないと、世界は『1984』へ向かってしまうのでは、とう瀬戸際が今なのではないでしょうか。

押井守さんの『攻殻機動隊』を見てびっくりしたのが、冒頭こんな言葉で始まるんです。

企業のネットが星を被い
電子や光が駆け巡っても
国家や民族が消えて無くなるほど
情報化されていない近未来−

当時これだけのことが言えるのは改めてすごいと思いました。
そうした未来を話す上で取り上げた○と△の話について、押井さんからもご意見を伺いたいと思います。

・04_02_パネルディスカッション_押井守コメント

相当わかりやすい話ですよね。わかりやすすぎて問題あるんじゃないかと(笑)
よく僕言われるんです。「わかりやすく言うととういうことですか?」とか「要はどういうことですか?」とか。なんでそんなに早く答えを欲しがるの?大事なのは質問することでしょう?といつも思うんです。
答えというのは必ずシンプルになるんです。でも質問ていうのは、その人の器の大きさにしかできないんです。
なので今のお話はかなりわかりやすいです。

ただ一つ、意地の悪いツッコミを入れさせていただきたい。
軍隊は確かにピラミッドでした。ただこの軍隊の指揮系統がピラミッドであることがやばい。将来の戦争で、指揮中枢が破壊されたらそれで終わりというのではいかんという所から、インターネットは発想された。インターネットを作ったのは軍隊なんです。
国家や軍というのは、人間社会が生まれたと同時に生まれ、なくなった試しがない。なぜ全員が対話することで社会は機能せず、ピラミッドを形成していったのか。

ジョブズというおじさんがいました。彼はかつて、ウォークマンが音楽体験を変えたように、世界を極端に変える商品を出しました。スマートフォンです。僕もイヤイヤ持たされてますけど(笑)ジョブズが言う、商品が世の中を変えるんだと言う意見は間違い無いと思う。
僕自身スマートフォンの目覚まし機能や地図アプリに救われている点でもそうですし、映画でコンピューターを使っていること以前にもあります。
実は僕、何十冊と本を出しているんですが、それはキーボードのおかげなんです。僕は子供の頃から自分の字が嫌いなんです。誰にも判読できないんで有名だったんです。だから喋るのもそんなに上手く無い。僕の対談のテープ起こしできる人って、日本に2人しかいないんですよ。全部その2人にやってもらってる。何言ってるかわからないから。
だからそういうデジタル的な能力値、ネットスキルが極端に低い。だけどそういう私ですら利便性には勝てない。三年前からスマートフォンを持たざるを得なくなった。これは商品が持つ力なんです。
商品とインターネットが同じ考えでいいのか。これが第2のツッコミなんですけど。
ジョブズの思想は有効だったし威力もあった。ジョブズあんまり好きじゃないですが(笑)彼が作ったスマートフォンを手放せない。

技術が世の中を変えることは間違いない。技術が映画を変えたように。映画は技術でしか変えられなかった。ゴダールといえど、映画に関する自意識を変えることはできたけど、映画の形態を変えることは誰にもできないんです。
技術だけは映画を変えられた。ゴダールが唱えた映画の革新より、THXのほうが映画に革新をもたらした。今やTHXが関わらないと営業ができない。
技術は商品社会の中で成立して、はじめて意味がある。技術イコール商品なんです。
何が言いたいかと言うと、技術と技術の思想は別だということ。
日本人は技術を受け入れるのは大好きだし、いじるのも大好きだしうまいし、向いてるんです。でも技術の思想っていうものだけは今だに理解してないと僕は思ってるんです。
それが証拠に、今言ったことをちゃんと把握している人間はどれだけいるんだろう。
技術と、商品化された技術は、別物です。科学と技術科学、いわゆるテクノロジーは別物です。科学をやっている人はみんな知ってます。
養老孟司さんが言ってたんですが、科学は新しい宗教と一緒だと。技術は言ってみれば、商品になったら実体なんです。
だから僕はインターネット社会を考えるとき、どこまでが実体でどこまでが妄想、観念なのか、ちゃんと考えるべきだと思ってる。
ということが今お話聞いて即座に思ったことで、即座に思わないことは山ほどあるんだけど(笑)

僕ばかり喋っててもしょうがないんだけど、もう一つだけ。
ジョブズはスマートフォンで世界を変えた。認めます。問題なのは「どう変えたか」でしょう?
先ほどもお話にありましたが、今若い子は本を読まない。若い映画監督もほとんど読んでいない、驚くべきことに。映画ばかり見てる(笑)
映画って今や簡単に見られるんですよ。昔は映画館のスケジュールに合わせなきゃ見られなかった。今は自分が好きな時に、いくらでも見られます。スマートフォンやネットで、しかもタダで。
ジョブズは確かに世の中を変えたかもしれないですけど、どう変えたかをちゃんと問うべきでしょう?
これが三つ目に言いたかったこと。これ以上喋ると僕の独演会になっちゃうのでお返しします(笑)

・04_03_パネルディスカッション_若林恵コメント

今年『South by Southwest』というカンファレンスに行きまして、みなさん行かれた方はつまんなかったと言うんですが、僕はめちゃくちゃ面白かったんです。
このSXSWというのは、たくさんカンファレンスやパネルディスカッションが開かれるんです。ネットと女性問題、ネットとイスラム、マスとソーシャルの絡み、AIとファシズムみたいな、かなりダークなものなんです。

そこで何が面白かったかというと、技術はいいこともたくさんもたらしたけど、同じくらいそうじゃ無いことももたらしたよねという問いかけに、技術者側が反省とか回答を求められるというようなことが起きていたんです。
ただそういう場で叩かれてることって、かなり面白い内容でした。実際ネットって、ある種の問題が出てきてるわけじゃないですか。

例えば、ある地方の友達のいない女の子が、ネットに自作の音楽を流したら、似た境遇の子と知り合っていっしょにバンドを始めて、新たなカルチャーを生み出すなんてこととか。それはおそらくいいことなんですよ。
他にも聞いたのが、あるゲイのおじさんが、昔はパートナーを見つけるのに専門誌に投稿するしかなかったのが、ネットが登場して出会いやすくなったと。だからネットが普及する過程において、ゲイコミュニティが果たした役割を過小評価してもらっちゃ困ると言われて、ああそうだなあと思ったりしたんです。
そういったことは、僕はいいことだと思うんです。

でも一方で、どこかの国に移住した少年が、重労働をしつつ周囲から疎んじられ、そうした鬱屈した思いを抱えた若者がネットで集って、やがてテロリストになっていくみたいなことが、並行して起きてる。
じゃあテロリストになるやつが悪いから、そいつらをネットから追い出せっていうことでいいんだっけ?っていう話になる。一方で音楽をやっている子たちは好きにやっててっていうなら、両者の間にいるグラデーションのような人たちのどこからが、社会にとっての脅威とされるのか。おそらく線引きできないじゃないですか。
でもその中でテロリストみたいな脅威にどう対処するかという議論は、かなり複雑でデリケートな議論だと思うんです。

そういった議論をしないとダメだよね?とか、この観点はダメだったじゃんってなった時、振り子が振れるように別の方向に進んでいくのは、それ自体がダイナミックで面白いと思ったんです。
そういった話を怒鳴り合いとかしながら話して、未来をいっしょに作っていくような雰囲気が、僕は面白かったです。

・04_04_パネルディスカッション_服部桂コメント

主催者として、この2人を呼んでよかったなあと聞き入っておりました(笑)
まず会のテーマを真っ向から否定していただいて「未来なんかいらねえよ」と、僕らもそう思ってるんですが。
でも未来ってみんな反対はしないですよね。平和とか幸せとか。フェイクも混ざっているのかもしれませんが。
ケヴィン・ケリーはInevitable(不可避なもの)と表現しました。未来は避けられない。重要なのは自分で選べるかということ。
選択肢もないまま、自分が幸せになったり不幸になったりということもあるでしょう。ただそれを、政府や景気など人のせいにしててよいのか。

まさに大型コンピューターが支配の象徴のように思われていた時代、若者たちはいつベトナム戦争に送り込まれるか恐々とし、コンピューターでベトナム爆撃のシミュレーションを行い、その中に自分が組み込まれることを恐れるしかなかった。
しかし「コンピューターはパーソナルじゃなきゃいけない」ということを、アラン・ケイが言いました。つまりこれは何かをさせるものではなく、自分が決めるにはどうすればいいかをオルタナティブに考えるものだという人がいたんです。

同様に、自分たちが想像もしなかった、ではなく、自分はこう生まれたが、これもあり得たのではと考えていった欧米人のように、ありえんと思うようなことを見ていくことが未来になると私は思うんです。
前を向いて未来を考え幸せになりたいっていうのは、みんな思ってます。それを自分から選ぶ自由。自分だけじゃなく、テクノロジーを使ったりしながら選んでいくことは、大事なことだと思うんです。
この会議のテーマもそうです。未来の選択肢を増やして自由にしていくこと。例えばAI。なぜこうも進化したかといえば、その背景にはビッグデータがある。なぜそんなに大量に蓄積されたか。皆が使えるようになったから。押井さんでさえ(笑)
つまり皆が使えるようになり、皆のパワーを解放していく。それがいつか自由とか、人間性の定義につながっていくんじゃないかと、大それたことを考えています。HOLOSもそうして、広い意味での未来を考えていければと思います。

・04_05_パネルディスカッション_高木利弘コメント

押井さん若林さん、本当に今日はありがとうございました。お話もこれから面白くなるってところで終わりになってしまうんですが(笑)
このHOLOS2050は始まったばかりです。金儲けにするつもりはありません。儲かるってどういうこと?というようなことを考えようとしています。
あくまで投げかけです。○と△で世界を考えたらどうなるんだろうというようなこと考えていければと思います。

・04_06_One More Thing_押井守コメント

すみません、最後に一つだけくだらないこと言っていいですか?言わないと我慢できない性分なんで(笑)
あのケヴィン・ケリーなんですけど、さっき写真見て誰かに似てるなーと思ったんですけど『猿の惑星』に出てくる科学者そっくりですよね(笑)

あとそれとは別に、さっきどうしても言いたかったんだけど。
昔ブレヒトっていう劇作家がいたんです。彼がラジオが普及した時になんて言ったか。
「ラジオで何ができるか。を考える前に、ラジオは生まれた。ラジオが普及したら、ラジオで何をやっていいかわからないことが判明しただけだ」
実際ラジオは、誕生してしばらくしてからコンサートを中継しただけなんです。で、初めてラジオが有効に機能したのは何か。ナチスの政治宣伝なんです。アメリカの大統領もすぐ始めた。
いつもインターネットを考えるときに、思い出すのがその言葉なんです。インターネットが先にできちゃったんですよ、インターネットで何ができるかを考える以前に。
技術っていうものを考えるときに、必ず考えなきゃいけないことは、人間とのギャップの問題なんですよ。
確かに三角形の頂点っていうのはよくないかもしれない。でもバビロニア帝国の時代から官僚っていたんですよ。5%の支配層がいなければ、人間社会は機能しなかった。5%の人間を生み出したからこそ、文化も文明も発達したと言えるんですよ。
絶対この矛盾の中に、そういう
インターネットも同じ。国家は小さくなったかもしれないけど、ISっていう新しい国家を生み出したんです。
このことも考えて欲しいんです。
物事は、悪いように悪いように考える僕みたいな人間がいて、初めてバランスが取れるんで(笑) 今日ここに来た意味はそれなのかなと思います。

一方で確かに素晴らしい話もあった。ゲイの人たちがネットの登場を喜んだという話は、僕も聞いたことがあります。そうした社会的マイノリティにとって、インターネットがどれほど素晴らしい環境を作ったか。これも評価するしかない。
未来というものは差分なんだとさっきおっしゃっていたけど、非常にいい言葉だと思う。現在の差分を考えることが、未来を考えることなんだ。ありえたかもしれない現在を考えることが、実は未来を考えることなんだと思うんです。映画って仕事はそういう仕事なんですけど。

もうちょっと喋っていい?(笑)止まんなくなっちゃうんだけど。
『攻殻機動隊』って映画を20年前に作ったとき、ラストで素子が
「さあどこに行こうかしら、ネットは広大だわ」
って言うんです。どこに行くとは言ってない。で、その時の少女の顔が、天使に見えるか悪魔に見えるかっていうつもりで作ったんです。
それから20年。僕ははっきり「素子は堕天使になったんだ」って言ったの。遺憾ながら(笑)
ていうか天使も悪魔も同じなんだよね。天使が地に落ちて悪魔になったんだから。
そう言う意味で言えば、複雑に見えて方向性はひとつしかなかったんですよ。

人間がそれに慣れるかどうか。ネットが人間を変えたわけじゃなくて、ネットに合わせて人間がいかに変われるか。
そっちの方が手っ取り早くて本質的だと思う。人間が変わらなければ、技術なんか変わらないと思う。

そういうことを言いたかっただけです。終わりにします。

(拍手)

未来会議①「第1章 ホロス2050とは?/BECOMING」アーカイブ映像

未来会議①「第1章 ホロス2050とは?/BECOMING」プレゼン資料_服部桂

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