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ホロス2050会員

未来会議②「第2章 人工知能の現在/COGNIFYING」全文

第2回ホロス2050未来会議「第2章 人工知能の現在/COGNIFYING〜どうすれば人間はもっと人間らしい仕事に集中できるか?!〜」全文

■アーカイブ映像(限定公開版/1:46:32)

・01_服部桂_第2章 COGNIFYING」の要点

皆さん、こんにちは。皆さん、多数おいでいただきありがとうございます。今日の会議は『HOLOS2050』の第2章になります。
今日はまず、ケヴィン・ケリーさんが『〈インターネット〉の次に来るもの』の中で、AIについてどのように書いているかを、私から簡単にご説明し、その後ゲストの方々にお話いただいてから、パネルディスカッションへ移りたいと思います。

1回目の「ホロスとは何か?」の時に来ていただいた皆様には言わずもがなとは思いますが、この会議自体はケヴィン・ケリーさんが去年書かれた『THE INEVITABLE(不可避なもの)』、私が『〈インターネット〉の次に来るもの』という形で翻訳させていただいた本をもとにやっております。
ケヴィン・ケリーさんは、今後のデジタル社会について、12の普通の言葉で語っていて、「AIはこれからこうなる」とかではなく「スクリーニング」や「フローイング」「シェアリング」といった、デジタル社会の基本的な12の当たり前の言葉を章立てにしてまとめています。
1回目は『BECOMING』をテーマに開催しまして、『攻殻機動隊』で有名な押井監督と日本の『WIRED』編集長の若林さんにお越しいただき、なかなか過激なトークをしていただきました。1回目はこの未来会議のマニフェストみたいなものでもあるので、未来についてどう考えるかを考える機会になりました。そのときのご報告はこの「ホロス2050」のページ(http://holos2050.jp/)でもお伝えしておりますので、見逃している方はぜひそちらをご覧ください。こちらにハッシュタグが出ておりますけど、「#h2050」でツィートお願いします。
このホロス2050未来会議は、1回目が「BECOMING(なっていく)」で、5月11日にやりましたけど、今回は第2回目「人工知能の現在」ということで第2章をやります。第3章以降も毎月続いていきますので、ご興味のある方はぜひ、引き続きご参加ください。で、11月にはケヴィン・ケリーさんも来ると思いますので、ご本人にお話ししていただければと思っています。
で、今日はAIのお話になります。最近のAIの話題と言いますと、やはりこれですよね。ついに、人類がAIに完敗したという。最強の囲碁棋士といわれた中国の柯潔(かけつ)選手が、GoogleのAlphaGoに敗れたというニュースでしょう。将棋も勝っちゃったという。じゃぁ、人間どうするんだという。
でも、これは碁と将棋に負けただけですからね。あと、まだ女性を口説くとかというのは負けていないですから。
まぁ、一応、こういう高度な、人間のほうが頭がいいと思っている分野で、AIが人間を凌駕しまったということなんですね。
最近は、AIガ流行っています。ということで、皆さん、AIにご興味あると思いますが、第2章は「COGNIFYING」というタイトルなんですね。これ、どういう意味でしょうかね?
実はケヴィン・ケリーさんは、AIという言葉を使うのが嫌だったらんですね(笑)、AIに代わるトレンドを表現するような表現を彼は必死に考えたんですね。皆に、これどういったらいいかね? とアンケートを取ったんですね。私も、こう言ったらいいんじゃないのと、彼が本を書いているときに言いましたけども。
COGNIFYING。これ実は、英語にはない言葉なんです。
最近、某大手コンピュータメーカーがコグニティブコンピュータという言い方をしていますが、「Cognitive」というのは「認知する」という意味で、AIの高級なものです。
ケヴィン・ケリーさんは、人間が認知、認識を持つように、コンピュータがそうした機能を備えるようになっていくことを、この題で表しました。
近年AIがブームになっているのは、写真を見せるとキャプションをつけてくれるとか、レントゲン画像から病気を診断してくれるとか、自動車を自動運転してくれるとか、Deep Mindという会社がGoogleに買収されましたけど、ゲームもやっているうちに自動的に学習して人間に勝ってしまう。そういうAIも出てきています。
昔はAIというと、高くて何もできないと言われていたのが、画像は認識するし、運転もゲームもするし、碁も将棋も勝っちゃったということで、これは凄いということになった。
ケヴィン・ケリーさんは、こうした流れを「Artificial Intelligence(人工知能)」というより、「Artificial Smartness(人工的な賢さ)」であると捉え、こうした技術がデジタルの世界で実用化しているということが重要であると言っています。
今、AIの最先端の応用として注目されているが自動運転ですね。人間のドライバーが全く手をつけずに、車が勝手に目的地に行ってくれるようになる。でも、ケヴィンさんは、もしAIが利口になって文句を言うようになったら困ると。「今日は気分が乗らないから運転しない」なんて言い出されたら困る。AIは人間に近くなりすぎてもよろしくない。運転用のAIは運転に集中してほしいわけですね。
いずれシンギュラリティといってAIが人間を超えるんじゃないかというようなことが言われていますが、AIはある機能を特化して人間よりうまくやってくれるようなものではないでしょうか。
我々も、よくArtificial Intelligence(人工知能)と言っていますが、Intelligence(知能)って何? ということなんですね。
普通はIQで頭のよさを計りますが、下等動物から人間、AIへとどんどんIQが上がっていると考えがちですが、そうじゃないんです。
IQというのはひとつの尺度ではなく、色々な知的機能というのがある。記憶力がいいとか、瞬時に判断できるとか、全体がよく見えるとか、そういう色々な機能を持っていて、カラスはすごく記憶力がいいとか、脳の様々な機能、記憶力や判断力といったものを各々多元的に測るのが正しく、例えば鳥類の映像記憶力と人間のそれとは、比較できるものではないのです。
AIもそれと同じで、一元的に人の尺度で測ったり争っていても意味はなく、人間の思考と掛け合わせることで、それぞれの機能をどう伸ばして生かすかを考えることが大事だとおもうのです。
長らく人間は、この宇宙の中心に自分たちがいて、最も高等な生き物だと信じて来たようです。でも仮に、宇宙人や自律思考のロボットがいたら、人間には考えもつかない、飛び抜けた知性を持っているかもしれません。
それを知るためには、人工的に知性を作って、その知性の限界を再現する必要があります。
例えばAlphaGoは、膨大な手数を総当たり的にシミュレートしていますが、人間は経験から考える必要のない手(悪手)を、意識的に考えないようにしています。
AIはそういった捨てられた手を、代わりに考えて補完するように考えてくれているとすれば、それは正に人間の思いつかない知性と言えるでしょう。Artificial IntelligenceならぬAlien Intelligenceですね。
AIの素晴らしさについてよく言われるのが、それがもたらすとされる第4次産業革命による、社会や生産の変革というものです。
第1次産業革命では、人や家畜による力にかわり、蒸気機関などによる人工的な力により、生産や輸送が大きく進歩しました。
次いで起きたのが、電気による産業革命です。例えば手押しの井戸に電気(モーター)を付加して、電動ポンプが生まれました。
それまであったものに新たなエネルギーを与えて来たように、モーターに知性を与えると、インテリジェントモーター(回転数やトルクを自動で調整することで、振動や騒音やロスを抑えるモーター)ができるわけです。
今まで馬一頭分のパワーを1馬力なんて言い表していたように、人一人分の知性を表す単位が生まれるかもしれません。
人間と機械やAIは違うものです。競争しても仕方ありません。人間にできる判断は人間に、人間にとって煩雑であったりすることはAIにやらせようといった、棲み分けが必要でしょう。
それを指すのによく言われるのが、ケンタウロスという例えです。人の脳と馬のパワーをもって、それまで出来なかったことができるようになる。という思想です。
実際、チェスの世界でも人間とコンピュータがダブルスのように、チームでプレイするといった試みもあるそうです。
KKさん曰く、これからのスタートアップは、AIと関係ないと思われていた分野にあるといいます。
例えば机なんかは、AIと関係がないように思われるでしょう。でももし付加してみたら、人の体格に合わせて適切な高さに上下してくれる机が生まれるかもしれません。
AIは人間を超えるか、という論議をよく聞きます。AIに職を追われるのではないか、など。
でもこれからは、AIと敵対するのではなく、いかに共存していくかのほうが重要なテーマになります。
恐らくは「この仕事がAI化されたからやめます」というより「このAIは私ならよりよく扱えます」と言った方が、給料も上がるでしょう。

繰り返しますが、この会議は『〈インターネット〉の次に来るもの』を元に進めており、この話もその解釈をお伝えしているものです。
皆さんも読んでいらっしゃるとは思いますが、そうした中で皆さんなりの解釈や考えを展開していただければと思っています。

・02_村上憲郎スピーチ

私がAIに出会ったのは1968年、映画『2001年宇宙の旅』が封切られたときでした。
当時私は20歳。19の時に逮捕されまして、モロトフカクテルエンジニアリングばかりやっていても仕方がないかなと思っていた時です。若い方はなんの話かわからないと思いますが(笑)(編集者注:各自お調べください)
とにかくお巡りさんとばかりやっててもしょうがないなと思っている時に出会い、AIの象徴とも言えるHAL9000を見て「コンピュータやってみようかな」と考えました。
70年に日立電子に入社しまして、HITAC10というミニコンに携わります。今で言えばLinuxの乗っていないラズベリーパイ(ワンボードマイコン)でしょう。むき出しのチューリングマシンのようなものを触っていました。
それをマシン語で隅から隅までいじり倒し、その仕組みを習得できました。
その後日立がミニコンから撤退し、ミニコンの本家でありますDEC社に、英語もできないのに転職します。
これが僥倖で、当時のDEC社と言うのが、インターネットの雛形となるARPA(米国防総省高等研究計画局)ネットのノードを、PDP-10というRISCマシンで仕切っていました。さらに言うと、DARPAの支援のもとMITやスタンフォードなどが行なっているAIの研究も、そのマシンで行われていました。
こうして全く期せずして、夢のAIの周辺にたどり着いたわけです。
ようやく私が英語を覚え始めた80年、通産省(当時)が第5世代コンピュータプロジェクトを立ち上げます。その中には推論マシンという目標もありましたが、すべてはDECのコンピュータでやる他なく、私はその担当の任にあたります。
結果ビジネス的にも大成功を収め、86年にDEC本社から、AIセンターへの転勤を命じられました。
時間がないようなので飛ばしますが(笑)2003年にGoogle米本社副社長と、GoogleJapan社長兼務として就任しました。私が指名された理由をエリック・シュミットCEOに尋ねると「君はAIをやっていたから」と言われました。
「いや私は第二世代のエキスパートシステムの頃のものなので、最近のマシンラーニングなんてのはわかりませんよ」と正直に答えたら、彼は「僕もよくわからないんだ。でも皆に聞いたら、君はわかったフリができると言うんだ」と言うので「それならできます」と言って引き受けました(笑)
2009年に病気を患い、名誉会長職に退きました。なぜ退職じゃないのかとエリックに聞くと「オバマ政権(当時)が推し進めるスマートグリッドがあるだろう?あれが10年後に日本でも普及していないと、Googleとしても困るんだ」とだけ言われました。
スマートグリッドとは、電力網を丸ごとインターネットにしてしまおうというもので、IoT(Internet of Things)に連なる構想です。その縁もあって、関係企業の社長などもやっていましたが、現在は総務省AIネットワーク社会推進会議の委員などを務めさせていただいております。
時間がないようなので飛ばしますが(笑)スマートグリッドというのは、電力網をインターネットで賢くすることでIoTを推し進めるという構想。オバマ大統領が『IT政策の』三本柱の一つに据えていたものです。
IoTにつながる機器は、来年末には80億台になると言われ、ネット機器大手のシスコシステムズはIoE(Everythings)と銘打ち、2020年には500億台の機器がネットワークに繋がると予測しています。
まあ台数のことはさておいても、そうした急峻な立ち上がりを持つ流れが、インターネットにつながる時代が来るということを頭に置いていただきたい。
またスマートグリッドやIoTにより、節電した電力があたかも新たに作られた電気であるかのように社会に流れていく、バーチャルパワープラント(仮装発電所)という計画などもあります。
ビッグデータの話を少しします。今ビッグデータも1.5の時代に入り、膨大なデータを分散処理する技術が確立しています。
これをさらにAIと組み合わせるビッグデータ2.0という構想も動き出し、DARPAが2500万ドルを投じるなど話題になりました。
GoogleはNASAエイムズ研究所と共同で、量子人工知能研究所の設立を発表しました。
AIのブームの歴史を振り返ります。
AIは1956年、アメリカのダートマス大学で開かれた会議でその名が登場します。しかし当時は、ただそれが大変なことであるということを確認しただけでした。
82年、先ほどの第5世代コンピュータプロジェクトにより、専門家の知識を集積しようというエキスパートシステムなどを核とした研究が進み、こと日本語ワープロの分野は長足の進歩を遂げます。
そして今の第三次AIブーム。マシンラーニングやニューラルネットワークといった技術に並び、この時代のブレイクスルーとなった構想に、ディープラーニングがあったことは疑いないでしょう。
それを支えたものは何か?第一にAIに学ばせる情報量が潤沢であること(ビッグデータ)。そしてそれを処理するコンピュータのパワーが潤沢であることです。
NVIDIA社の開発するGPGPUや、量子コンピュータなどの応用も進んでいます。
またこれらを活用するツール類も、大手各社から続々リリースされ、少しの知識と技術があれば、すきな解析ツールを作れる時代が来ています。
さてAIの進化とくれば、その先にあるであろうアンドロイドの誕生というのが気になります。
生体に電気的デバイスを埋め込むインプランタブルから、生体部品を人工のそれに置き換えるサイボーグへと潮流が変わり、徐々に機械に置き換わった人体に最後に残った脳がAIに置き換わった時が、アンドロイドの誕生と言えるでしょう。
翻せば、COGNIFYINGというように、ロボットが知性を獲得し、それが人間と比較して遜色がなくなったとき、ロボットはアンドロイドと呼べるでしょう。
なんのためにこんなことを研究してるのかということを、守秘義務に抵触しない範囲でご説明しますと、SiriやCortanaといった、デジタルパーソナルアシスタントの次段階として、バトラー(執事)サービスを目指すものです。
データセンター上のバトラーから、個人のバトラーを操作し、ある時は二足歩行のアンドロイドに、ある時はタブレット上に、ある時は自動走行車にバトラーが現れ、生活をサポートしてくれるという仕組み。これを提供しようというものです。
今度再び映画化される傑作SF『ブレードランナー』の原作は『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』ですが、江戸っ子に言わせると『アンドロイドは電気シツジの夢を見るか?』というジョークになるわけです。
江戸っ子らしき方3名ほどに笑っていただいたところで次行きます(笑)
先日ドイツのインダストリー4.0というものを、私も政府の方と見てまいりました。
何をしているかと言えば、エンドユーザー一人一人の特注品を低価格で提供する、IoT基盤の生産システムです。
そもそもなぜ日独が一年前から協調を進めているか(2017年3月。日独はサイバーセキュリティの国際標準化やデータ流通の規制改革など、第4次産業革命における日独協力の枠を定めた『ハノーバー宣言』に署名した)といえば、第4次産業革命とはいえ、IoTと言っている以上、これはインターネットを基盤とする革命であり、それを握るアメリカの勝ちは確実です。
ただそれだけでは、日独は立場がなくなるだけなので、共同歩調を図ろうというものです。
内容はおよそアメリカのインダストリアル4.0と同じなのですが、今回はイタリアが入っていないので勝てそうだというジョークがちらほら聞こえてます(笑)
誤解がないように言いますと、事を構えるつもりではありません。スマートファクトリーなどのプロトコルに整合性をもたせましょうといった話をしています。
G7も今回、情報通信小会というのを設けるそうですが、アメリカに任せきりの自動車産業をどうするかというのが主な話になるようです。
今回インダストリアル4.0のリファレンスモデルを作って見たら、8年前にアメリカが言ったことにそっくりだったと。やはりアメリカは手強いなあということを双方確認したわけです。
そうした流れを見て浮かんで来るのが、アルビン・トフラーが1980年に『第三の波』という本の中で提唱した『プロシューマー』の誕生です。(プロデューサー+コンシューマー)
消費者の嗜好を商品設計から入れるのは当然ですが、いっそ一人一人の注文に、大量生産品と同じコストで答えてしまおうというものです。
ただそうなってくると、未来はバラ色というわけにはいきません。それはコストを大幅に削減しようということなので、ルーチンワークをやっている人たちは不要になるということは、しっかり認めなければなりません。
少し具体的に言いますと、簿記三級くらいの、伝票を受けて仕分けするというまでの方や、弁護士事務所でパラリーガルという、持ち込まれた事案と過去の判例を照らし合わせたり、関連する法律を調べる弁護士助手のような方がいるんですが、こうした方は失職するでしょう。
では公認会計士や弁護士さんは大丈夫なのかと言えばそうではなく、ちゃんとAI会計士やAIパラリーガルを使いこなせないと、競争力を失うでしょう。
ただ政府もそこは分かっているわけで、社会としてそれをどう支えていくかということを考える上で『ソサエティ5.0』という構想を考えています。
ソサエティ5.0というのは、狩猟・採取、農耕、工業、情報に次ぐ第5の社会形態を指します。ハイパースマート社会と名付けられ、この到来により、理不尽にたいへんな状況に追い込まれる人たちを、どんなセーフティネットですくい上げていくかといった議論もしていかなければならない時期が来たのではということです。
不安と言いますと昨年、G7で高市総務相が提案した『AI研究開発の8原則』というものがあります。
================
① 透明性の原則
AIネットワークシステムの動作の説明可能性及び検証可能性を確保すること 。
② 利用者支援の原則
AIネットワークシステムが利用者を支援するとともに、利用者に選択の機会を適切に提供するよう配慮すること 。
③ 制御可能性の原則
人間によるAIネットワークシステムの制御可能性を確保すること 。
④ セキュリティ確保の原則
AIネットワークシステムの頑健性及び信頼性を確保すること 。
⑤ 安全保護の原則
AIネットワークシステムが利用者及び第三者の生命・身体の安全に危害を及ぼさないように配慮すること 。
⑥ プライバシー保護の原則
AIネットワークシステムが利用者及び第三者のプライバシーを侵害しないように配慮すること 。
⑦ 倫理の原則
ネットワーク化されるAIの研究開発において、人間の尊厳と個人の自律を尊重すること。
⑧ アカウンタビリティの原則
ネットワーク化されるAIの研究開発者が利用者等関係ステークホルダーへのアカウンタビリティを果たすこと。
================
つまり、これら全部に「懸念」があるぞということです。こうしたことが蔑ろにされる可能性があることを表明したに過ぎないわけです。
今年の会議でこれに対する回答として、ガイドラインを出すことを日本は求められているのですが、私もあと数ヶ月しかない中、その策定に大変な思いをしている次第です。

・03_暦本純一スピーチ

はじめにまず少し余談を。私学生時代にDEC社さんのVAX11/780というコンピュータを使って、卒論や修論を書いていたんです。( 村上「ありがとうございます(笑)」)
そのモニタとキーボードであるVT100なんですが、このVT100は往年の名機と呼ばれ、このタイピング感覚が忘れられないという方も多いんですけど、私もいまだに無駄にキー圧の高いやつ使ってたりします。以上です(笑)

簡単に経歴を紹介しますと、私はAIの前にはユーザーインターフェイスといったものを研究していました。その成果のひとつであるスマートスキンと名付けたマルチタッチデバイスは、世界で初めてピンチング(二本の指で画面の拡大や縮小を行うもの)ができたデバイスと認められています。
これには若干特許論争がアップル……もとい、A社さんと(笑)あったわけですが、一応A社さんの主張を退けているので、Androidなど他のプラットフォームでマルチタッチが使えるのは、それが公知要件のひとつと認められているからだそうです。
さて今日はAIのお話ということなんですが、先ほどAlphaGoの話もありましたが、実はAlphaGoと人間のペアが交互に打つという、ダブルスみたいな試合があったんです。
これが面白かったらしく、ペアを組んだプロの人も、劣勢なのにすごく楽しそうにしていました。
チェスの世界でもガルリ・カスパロフという王者が、IBMのディープブルーというマシンに負けたんですが、彼自身がアドバンスチェスというものを提案しました。
コンピュータと人間のチームによるダブルスのようなチェスなんですが、これがコンピュータ単体より良い成績を残していると言われています。
AI関連でいうと、シンギュラリティという言葉が最近聞かれるようになりました。皆さんも嫌という程耳にしているとは思います。
マスコミなどではこの言葉を「2045年までにAIが人間の仕事を奪う」といった見出しで扱っていますが、これ間違いです。カーツワイルの本(この話の元になった2005年に発行された『The Singularity is near』)をちゃんと読むと、そんなことは書かれていません。
この本は和訳され『ポスト・ヒューマンの誕生 …コンピュータが人間の知性を越えるとき』というタイトルになっているんですが、何点か解釈違いがあります。
まず本書の中でカーツワイル氏は、2030年頃にコンピュータが人間の知性を超えると予測しています。2045年はとうに超えた後です。
さらに大事なのは、原本の表紙に書かれている副題「When humans transcend biology」という言葉。訳すと「人類が生物を越えるとき」となり、これがカーツワイル氏の基本的思想である「トランスヒューマン思想」であり、人間が次の段階へ進化していくということを、本書では主に記しています。
つまり、人間対コンピュータということは、あまり書いていないんです。
日本語版の帯には「2045年、人類はついに特異点に到達する」と、内容に沿ったコピーがありますが、主に論じられているのはそういうことなんです。
内容をもう少し話しますと、カーツワイル氏はこう記しています。
「脳内に分散したナノボットが生体ニューロンと作用し合うことで、完全没入型のVRを作り上げる。さらにそうしたことで、生物的思考と人間の作り出す非生物的知能が密接につながることで人間の知能が大いに拡大する(大意)」
つまり、テクノロジーと融合した人類が次の段階へ行くというのが、本書の主題なんです。対立のお話ではないんですね。
そもそも、人間対AIというテーマ自体が古いと思います。近年はホモ・サイバネティカスという言葉が生まれたように、人間とAIの融合した形がどうなるかがトレンドです。
ただどうなるにしても、その道筋は一通りではないので、どう筋道をつけるかがヒューマンインターフェイスの新たな命題かと思います。
SF小説の大家であるA.C.クラークが、その著書の中で「道具が人間を発明する」と唱えています。
人類が道具を発明したという考えは、半分本当で半分ウソ。実際は道具が人類を発明したのではないか?と氏は書いています。
文字を発明したことで、文字による思考ができるようになる。AIを作ったことで、AIによる思考ができるようになる。道具が人間を進化させているのではないか?ということです。
私も今、東京大学で『ヒューマンオーグメンテーション学』という講座をしていまして、2001年宇宙の旅をパクったイメージビジュアルを作ったら、学生が誰も元ネタ知らなくてショックを受けたわけですが(笑)。AIやロボティクスが人間をどう進化させるかを考える学問単位を作ろうとしています。
人間を身体、存在、認知、知覚の4つのカテゴリーに分け、それぞれが機械とどう絡んでいくかを考えます。
私の大好きな映画で『ブレインストーム』という、83年に制作された最強のB級映画があるんですが(笑)、自分の記憶やパーセプション(知覚や認識)を記録して、他者に追体験させられる装置が出てくるんです。ブレインマシンインターフェイスとインターネットがつながった世界観ですね。
で、これを見ていた私は、映像と音響だけならなんとか送れないだろうかと思い「ジャックインヘッド」という装置を作りました。これは全周囲映像を記録して送れるウェアラブルコンピュータで、装着者の周囲の景色や体験を他人に送ることができます。
例えば鉄棒の大車輪をしている選手にこれをつけると、ぐるぐる回る映像が映し出されます。ここにAIが介入して、トラッキングデータから空間の上下を抽出させ、画像を補正させると、常に天井を上に見た映像が生成されるわけです。
これは体操選手やフィギュアスケーターが、常に方向を認識して演技している様子を疑似体験しているといえます。
これを発展させると、サッカー選手が常に全周を知覚し、真後ろからのパスにも対応できるスーパー選手ができるのではないか。といった研究もしています。
もちろんこれは、ドローンやロボットにも取り付けられます。ランナーを追いかける自動追尾ドローンがとらえた映像から、自分のフォームを確認しながら走れるようになる。みたいなことも可能です。
ちなみにジャックインというのは……基本私はSF作品から名前などを引用するんですが、ウィリアム・ギブスン(映画『JM』の原作脚本や「サイバースペース」の名付け親としても有名)が書いたSF小説『ニューロマンサー』に出てくる言葉です。
作中で人間がコンピュータに没入することをジャックインと呼んでいるんですが、私たちはコンピュータのみならず、人の知覚に没入することもできるのではと考え名付けました。
またそこから、ジャックアウトという概念も生まれました。ジャックインしたユーザーやマシンの周囲の情報を拡張し、あたかもその人を俯瞰したり回り込んだりしたような視点で見ることができる。TV会議で繋がった映像は固定されていますよね?それが向こうの部屋を自由に歩き回ることができるようになるかもしれません。
こうして人間と人間、または人間と機械がつながることで、新しい見方や働き方が生まれるでしょう。私たちはこれをIoTならぬIoA(Abilities)と呼んでいます。
少しAIから離れたお話をしましたが、そうした上で仕事や働き方の未来像を考えると、全部自動になる社会は楽しいのか?という考えが生まれます。
チャップリンが映画『モダン・タイムス』で、機械化文明を皮肉たっぷりに描いていましたが、その頃は「絶対機械ができないこと」とされていた事が「できたら嬉しいね」という希望でもあったわけです。
近年かつて「できないこと」だった自動運転や家庭用清掃ロボットが現実のものとなりましたが、そうして全てが自動化されると、果たして人間は嬉しいと感じるのか。
例えばピアノを自動演奏で奏でるのと、自分で弾くのとでは全く感覚は違うわけです。それはすなわち、機械でできることと自分でできることの違い、演奏でもスポーツでも、自分でできることが幸福につながるので、それを機械にサポートしてほしい、というのが正しい認識ではないでしょうか。
少しくだけた話をします。AIが人間の仕事を奪うといった話をするとき私が使う「チョコレート理論」というものです。
例えばチョコレートの価値を語るとき、それはどこで決まるでしょう?味でしょうか、分子構造でしょうか。
中でも2月14日のチョコレートで言えば、全く同じ組成と量のチョコレートであっても、誰からもらうかによって価値が全く変わりませんか?(笑)
つまり分子なんかに価値はなく、誰からもらうかに価値がある。仕事も誰がやったかに価値を見出すのが、非常に人間的だと思うんです。
これはポジティブな観点なんですが、逆に考えると……例えば今自己承認欲求って非常に高まっていると思うんです。
SNSに食べ物の写真をアップするのは、それがおいしいからではなく、それを載せる事でRTやいいねが欲しい。という人もいると思うんです。マズローの欲求(人間は生存、安全、社会、承認、自己実現の5段階を絶えず成長するという理論)のさらに上に、「いいね」と言ってもらえるというレベルがあって、もしかして、自己実現とかFree Willよりも自己承認欲求が強いのかもしれない。
ただそれにしても、AIにいいねを押されても嬉しくないと思うんです。嬉しいという人もいるかもしれないのですが、そこにちょっと人間の価値があるかなと。なので、最終的に人間の価値というのは、「いいね」なのか「悪いね」なのか、自分で言っていてもよくわからなくなってしまったのですが、この辺がAIにリプレイスされないところなのかなと思いました。

・04_パネルディスカッション

服部桂

お二人の素晴らしいお話を聞けて、みなさんは2050年も見えたしAIもわかったしおなかいっぱいだとは思いますが、ここから論議の場をつくるにあたり、私の方からまず簡単にお話しさせていただきます。
ケヴィン・ケリーさんが言うCognifyingというのは、いわゆるAIだとか、チェスや碁で人間に勝つような賢いコンピュータだと思ってしまいますが、そもそもコンピュータとは、イギリスの数学者アラン・チューリングが1936年に書いた論文の中で、人間の頭の中の動きをモデル化したのが最初です。
ですから、計算が早いだとかチェスが強いとかいうより、人間を機械で作りたいという思いが根底にあった。と私は認識しています。
AIというと、ジョン・マッカーシーと並んでAIの父と呼ばれるマービン・ミンスキーという方がいるんですが、私が朝日新聞社に勤めていた頃、彼にインタビューをしたんです。その冒頭です。
「なぜ日本人はAIをすごいと思うのか。知能などというものは相対的なもので、他より早く処理ができるものがAIと呼ばれているが、あまり知能といったものに感心するな」
こう言われてしまったんです。さらに言うには、
「今AIで出来ていることは、いずれAIと言われなくなる」
つまり、自動車は登場当初、人間の移動を代替えする、いわば「人工脚」であったわけですが、そのうち当たり前の道具となりました。そんなふうにAIもいずれ当たり前になり、AIと呼ばれなくなると言ったんです。

もうひとつ、AIが人間を超えるかと言う点について。
機能的には超えることは疑いありませんが、思考や知性といった面で超えるのでしょうか?
昔の方は、これは機械であって人間ではない。人間の心を機械が超えるなど受け入れられないと言いました。チューリングは人工的な脳に人間の心を入れたかったわけですが、心作ってますというと怒られちゃうんで、心を入れる器を作ってますと言っていたんです。
洋の東西を問わず、人間以外のものに人間の機能をつけたいという欲はありました。神話の中でもゴーレムやコッペリア、近代ですとカレル・チャペックのR.U.R.などにも登場します。そうして自分の仕事を機械にやって欲しいという願望を持ってきました。
ケヴィン・ケリーさんは、そうした流れを見ていく中で、DNAとコンピュータは同じではないかということに気づいたんです。同じアーキテクチャーで拡張を繰り返していく様は、進化と淘汰のそれに同じで、だとすればテクノロジーとは人間の思い込みではなく、もっと高次な概念として発達していくべきだと主張しています。
我々が単純に感じるのは、人間に似たものを作り、自らを助けてもらおうとして、それがいつか人間を超えて人間を圧迫していく。まるで自分が生んだ子が、いつか反抗期を迎えるのを恐れるような恐怖を抱いてはいないでしょうか。
今回論議するにあたって、AIの多様性。単純に計算が早いとかではなく、人間の機能を拡張していく中で広まる多様性のようなものを図にしてみました。(下図)
人間が一人で集中して考えることと、複数で集合して考えること。個人活動と社会活動を真似るように、AIは広まっていると捉えてみました。
そんな中でも注目されているのが、脳を集中的に改良していくヒューマノイド型ロボットや自動運転。オーグメンテッドヒューマンといったジャンルでしょうか。
こうして見るとやはり、AIは単純に機能を高めていくというより、人間とどういう関係を築いていくかが重要なのではないでしょうか。
ではまず村上さんにお聞きしたいのですが、村上さんにとってAIとは、どんな意味を持つものでしょう?

村上憲郎

私は今総務省の会議で、AIの研究開発ガイドラインを策定しようとしていますが、研究開発を抑制しようというものではないんです。推進しつつも懸念を示すというものでもあるんですが、その文脈の中でいうと、私は商売人の立場で参画し、売れるならどんどんやれという側の代表です。無論倫理面なども考慮はしていますが、そういう部門はちゃんと専門の方がいらっしゃいますし、いわゆるレールの切り替えスイッチを前に、右に切れば列車の全員が死に、左に切れば1人死んで皆助かるといった問題を前にAIはどうするか、なんて話では出番はありません。
それより、我が国のGDPに少しでも上乗せできるならいいじゃん?みたいな、身も蓋もない立場です(笑)

服部桂


10年くらい前でしたか、何かの時に村上さんが「これからはAIです、金になりますよー」と話をされてました。
私は「以前からやってて失敗してるじゃないか」と思っていたんですが、村上さんは当時から、GPGPUの進化やディープラーニングの高まりを、肌で感じられていたんだろうなと思いました。

Googleが出来始めの頃、ケヴィン・ケリーさんが取材に行ったんだそうです。ケヴィンさんはその検索エンジンを絶賛したそうですが、当のラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンは、その将来性を評価していませんでした。「ではあなたたちは、これから何をしたいんです?」とケヴィンさんが尋ねると「いやいや、僕らはAIをやっているんだよ」と事も無げに答えたそうです。
つまりAIの研究と実現の一環として、彼らは検索エンジンを作ったんです。村上さんが副社長に招聘されたあたりと言い、世界を制したGoogleの基幹に実はAIがあったというのは興味深いです。

村上憲郎


私は入社してからその2人に会いました。
「ノリオ、僕らがやりたいことを教えようか」
「なんです?」
「君がPCの前に座るとするだろう?するとキーも音声も使わず、勝手にスクリーンに、君の求める情報が表示されるんだ」
先ほどお話ししたバトラーサービスですね、その原型のようなものを話していました。
私がDEC社でエキスパートシステムなどに関わっていたのを知っていたんでしょう。言わずにいられなかったんでしょうね。

服部桂


暦本さんはAIのご専門ではないと思うのですが、いまの時代、夥しいビッグデータを背景にAIは進化していく。頭脳の部分は高まってきている中で、オーグメンテッドヒューマンなど含め、AIをどのようにお考えでしょう?

暦本純一


少し話がずれますが、みなさんの話を聞いていて思い出したんですが、90年代にテリー・ウィノグラード先生(スタンフォード大学の計算機科学者。SHRDLUとよばれるシステムを用いた自然言語についての研究により人工知能の分野で知られるようになった)にスタンフォードに呼ばれたことがあったんです。
その時は行かなかったんですが、まさに時同じくして2人の学生(ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリン)がGoogleを生み出そうとしている時だったんで、あの時行って一枚噛んでいればどうなってたかなあと(笑)

村上憲郎

億万長者ですね(笑)

暦本純一

それはさておき。いまのAIって、出来ている部分はすごく出来ているんだけど、よく見るとちゃんと出来ていないという差が大きいと思うんです。
画像をゴッホのタッチに変えるなんていうシステムも、ちょっとだけズレがあったりもする。このズレを直すのがとても大変なんですね。
ブロードバンドが始まった頃に『Last 1 mile』という言葉がありました。(通信事業における幹線と利用者を結ぶ最終工程におけるケーブルや設備の敷設、保守などのコストを指す言葉)
同様にAIの分野にも、99%まで出来て1%ができないという話がわんさとあります。たぶんAIの『Last 1%』と言われるようになると思います。
その1%に人間が入り込んで、人とAIのインテグレーション(統合。集大成)が起こり、圧倒的に仕事がしやすくなるというジャンルはたくさんあると思います。
完全自動化というのもその一つで、例えば自動運転なんかも結構大変で、特に先ほど村上さんもおっしゃられてた倫理面、誰が責任を持つのかという問題もあってか、Googleも若干消極的になってきましたね。以前はできると思っていたことも、いろいろ詰めると最後の微妙な話が大変だったりするので、逆にそういう部分に人間が入った方が、産業としても伸びるんじゃないかなと思います。

服部桂

どうでしょう、AIにも上手いことと出来ないことがあると思うんですが、これは絶対できないだろうということは……

暦本純一

チョコレート?(笑)違うか。
でも多分「プレゼントをあげたい」とか「もらって嬉しい」っていう感情を作り出すことは、データ処理とは違う次元なので、そこはできないし、無理やりする必要もないと思います。

服部桂


例えば最近話題のI社のWなるAIがありますが、あれがもし売りに出されたら、何ができるものとして売りに来るんでしょう?

暦本純一

画像処理の分野で言えば圧倒的に有用で、レントゲン画像からガンの兆候を見つけたり、監視カメラに映ったたすさんの人から、犯罪を起こしそうな人物の動きを抽出するのとかはものすごく得意です。
そういうのを、今まで人間が張り付いて見ていたのが必要なくなれば、産業も変わりますよね。そういうわかりやすいコグニションができるジャンルはあると思います。

服部桂


さっきも少し出ましたが、今や大型のAIもフリーサービス化しています。少しお金を払えば、誰でも使える。もしかしたら横丁のおばあちゃんの知恵袋的なアイディアが、世界に革新をもたらすかもしれませんね。

村上憲郎


昔から言われるジョークがあるんです。
AI is not yet smarter than Natural Stupidity.
人工知能なんてまだ僕らの自然愚行より賢くないよ。といった意味なんですが。
暦本先生もおっしゃったように、AIにも出来ることと出来ないことがあります。なんでも出来るものじゃない。何度か出ているAlphaGoも、中を質せばNVIDIAのGPUがブン回しで計算をしている「だけ」なんです。
人間がNatural Stupidityの本質に迫れていないように、AIの本質も実は分かっていない。わかっていないまま今日に至っているのだと思います。

服部桂


MITのメディアラボにいた時、初代所長のニコラス・ネグロポンテと話したんですが「AIなんてバカだよ。ジョークもわからないんだから」というんです。
先ほどのNatural Stupidityではありませんが、AIはプログラミングできるものしかわからない以上、人間の持つウィットさや、一見役に立たないものを理解できません。
ただディープラーニングのように、ルールを教えなくても例をたくさん見せているうちに覚えてできるようになるということもあり、そうしたアルゴリズムのわからないものというのが、AIの流行になっていると思うんです。

高木利弘


メディアの人間として思うのは、日本のメディアは良くないなぁと。シンギュラリティで人間を超えるとか言って煽ろうとしてますね。そういう意味でのAIの誤解釈については、偏差値教育の弊害だと私は思っています。
どういうことか。本来数値化できない人間の才能を、一本のベクトルで測って優劣を決める。こういうのはよくありません。優劣で決めればいいというものではないです。

本会の前に暦本さんのところに伺った時、粘菌をAIとして捉えるって面白いよねと話をしたんです。粘菌というのは細胞一つ一つが独立していながら、複数で一体化するとそれが一個体のような行動をする菌がいるんです。
こうした生き物と人間が並行して進化して来たのなら、人間も実は人類という総体で動いていて、今ようやくAIという生命の一部を見つけたのではないか。であるならこの先、いろんな進化をしたAIがいるのではと思うんです。

服部桂


ケヴィン・ケリーさんがいう、人間は疑問を調べ、その結果から新たな疑問や思考体系を得るところが凄いと思うんだという部分に通じるかもしれません。
実は人間は自分が思う以上に可能性に満ちた存在で、それこそスーパーヒューマンになることも可能なのかもしれない。霊感やシックスセンスのような部分も含めて。
でもそれを、AIなどの技術的な進歩で塞いでいる面もあるのかもしれませんね。

村上さんにもう一度伺いたいんですが、お話を伺っていますと、政府が注力すべきことの一つ、あるいはその総合目標が、公共をIT化して生産性を上げるという風に解釈できるんですが、それはいいんでしょうか?

村上憲郎


いいと思います。先ほども言いましたが、私は「使えるもんは使ってけ」という身も蓋もない立場なんです。
総務省も『AIネットワーク社会』と呼んでいます。スタンドアロンのAIの研究開発に関してどうこうしようというものではなく、明らかにネットワーク化した後についての話になっています。
暦本先生がおっしゃったIoAならぬIoAIでしょうか。そうして産業を大きく変える技術水準のものを、人間が使いこなしていかなくてはならない、という現状認識があるんです。

服部桂


実際には今までも第5世代コンピュータとかユビキタスとか、ITで世の中をより良くしていこうという様々な潮流がありました。
しかし実際はあまり成果がなく、第5世代に至っては500億も投じて何ができたんだろうというのが、個人的な感想なんですが

村上憲郎


DECのマシンをたくさん買っていただきまして(笑)私はハッピーになったんでそれでいいんです。

服部桂


いやAIの話しましょうよ(笑)
たとえば未来に向けての教育。僕らはあまり残されていませんが(笑)何を考え教えていくべきでしょう?

村上憲郎


つい先日、経産省の答申委員会がまとめた報告書があるんですが、服部さんがおっしゃったような、今までの産業政策上の誤りをいくつか指摘する内容です。
シンギュラリティについてカーツ・ワイルのお話が出ていましたが、彼は私がGoogleを辞めた後に入社して、それ以前にAI学会で会うこともありました。
当時から彼は『ベビーブーマーは永遠に生きられるんだ』といったことを話していて、ポスト・ヒューマンとかカーボンボディからの脱却という話をしていました。
要はシリコンチップの上に人間を転移しよう。じゃあその時『私』といわれる部分はどうするんですか?といった話をしているわけですが……そろそろ水だけで話すのもしんどくなってきますね(笑)

服部桂


お席の用意はございますので、今しばらくお付き合いください(笑)

村上憲郎


まあ要は、私に喋らせておくととんでもない方向に行きますよということです。

服部桂


ではこの辺で止めておきます(笑)
レイ・カーツ・ワイルについて一点余談を挟みたいのですが、その日本語版の出版に携わった編集者が今日来ているんです。
当時はシンギュラリティなんて言葉は当然認知されていなくて、これでは売れないと思って『ポスト・ヒューマンの誕生』としたそうですが、今になってシンギュラリティとしなかったことを後悔しているそうです(笑)

暦本純一

シンギュラリティという言葉については、カーツ・ワイルの本とはだいぶ違う使われ方をしているようですが、本自体はディープラーニングなんて言葉もなかった時代の本ですが、今読んでも面白いです。
原典にあたるほうがいいと思います。

高木利弘


人間が進化のプログラムに気付き、また別の何かになっていく。前回の押井さんの話のようにね。それはいいと思うんです。
ただ覚えておきたいのは、一万年前に人類は文字を発明し、外部記憶装置を獲得したんです。すると集団の形成と管理ができるようになった。社会というものができて一万年しか経っていないんです。その前の200万年は狩猟と採取の生活でした。
人間が仕事で金銭を得る生活を始めたのも、だいたいこのくらいと言われています。40億年の生命の歴史を鑑みても、そんな生活を始めたのはつい最近です。
なのに我々は、お金がなければ生命すら危ういという頭になっている。でもそれ以前は、そんなことをしなくても生きてこられたんです。
ケヴィン・ケリーさんは、それ以前の生活に戻るんだと言ってます。私もそのためにテクノロジーを使っていけたらと思います。

服部桂


産業革命の頃にも、人間の仕事がなくなると言って機械を壊す人がいました。IT革命の時も、子供がスマホばかり使って親の目の届かないところで何かするんじゃないかといった風潮がありました。
AIに関しても、それこそ2050年を待たずして、規模的にも機能的にも、とんでもない変革が訪れる。いつでもどこでもAIと接するような世界が来る。
その頃人間は、その技術とどう接しているのかを考えたいのですが、暦本さんがおっしゃった、対決というより共闘していくことになるでしょうし、仕事を失う人もいるでしょう。アンドロイドにチョコレートをもらえる日が来るのかとか(笑)。
そういうライフスタイルや幸福感の変化をどう考えますか?

暦本純一

能力拡張の面で最近ショックだったことが、スマホのアプリで、英語の『L』と『R』の発音を聞き分けさせるっていうだけのアプリがあったんです。
外国の人に「日本人ってLとRが聞き分けられないって本当なの?」ってよく聞かれるくらいなんですけど、実際やってみたら聞き分けられないんです。で、これを学生にやらせてみると、英語の語学力と無関係に、出来る子と出来ない子がいるんです。
調べてみると、子どもの頃ニューヨークに住んでましたとか、生まれは海外で日本育ちですっていう子は100%できるんです。そういった子たちも、すぐ日本に来てるんで英語力は十人並みなんです。でもやっぱり英語はできなくても、LとRを聞き分ける脳のニューロンは形成されてるんですね。
例えば僕みたいにその聞き分けるニューロンがなくても、聞き分けさせるAIを搭載した補聴器か何かをつければ、それが補えるようになると思うんです。
同じように、例えばピアノが弾けない人でも、そういった補助をつけて弾けるようになるかも知れない。そういう出来ないことが出来るようになる幸福は、たくさん生まれると思います。
『MATRIX』っていう映画ありましたよね。あの中で主人公ネオが相棒のトリニティに「あのヘリ操縦できるか?」って聞くと「まだよ」と答えるんです。でオペレーターに電話して、脳に操縦法をダウンロードしてもらうシーンがあるんですが、まさにあの世界ですよね。
あれが言わば、人間とAIの協調世界かなと思います。

服部桂


暦本さん既に人間超えてると思いますが(笑)
我々がSFに見ていた世界が、冗談でもなくなってくるのだと思います。
教育の分野はどうでしょう?

暦本純一

授業って、100年前とフォーマットってかわりませんよね。黒板がパワポになったくらいで。ひとつの部屋に大勢集めて先生がいてっていう。
そういう教育構成はAIで変わりますね。授業って出来すぎる子には退屈で出来ない子には苦痛っていう、非常に不公平だと思うんです。理解度は皆違うはずなのに。
本当は一人一人にパーソナルな教師がついたらいいんですけど、コスト面で難しかった。そういう部分は変わるし、変えなくちゃいけないと思います。

服部桂


高齢化社会になると、AIが話し相手になってくれる。自分の気持ちを常に学習するAIが現れるというお話もされていましたが。

暦本純一

Amazon Echoってありますよね。日本でも売り出すそうですが、あれ絶対ボケ防止にいいですよ。
喋るっていうのは健康にいいんです。スイッチも何も全部声でするようになったら、とてもいいデバイスだと思います。

服部桂


昨今、幸せの概念も変質する中、テクノロジーの進歩が、必ずしも幸せと結びついていない気もします。
村上さんご自身は今、何に幸せを感じますか?

村上憲郎


若い人たちがどんどん新しいものを生み出していて、それがどれだけ人の幸せに繋がるの?なんて尋ねても、そんなものわかりませんなんて答えられたりしながら、齢七十にして毎日のようにワクワクしているというのは、ありがたいことだなと思います。
ただ、AIの周辺にずっといた人間としての最終的な夢は、セルフコンシャスネス(自意識)をマシン上に登場させるか否か。これはかなり重要なことだと思います。
既に欧米はオートノマス(自律、自治)という言葉を、形容詞として使ってきています。つまりセルフコンシャスネスを登場させるのか、いつどのように登場させるのか、どの段階で登場したとみなすのか。そういう段階の話です。
そういう部分を置いてけぼりにしてAIの話を進めても、よろしくないんじゃないかと思います。
自分たちは今、未知なる知性に出会う。ケヴィン・ケリーさんが言うAlien Inteligenceを生み出そうとしている、そういう自覚は必要だし、いつどのように実現しようとしているのかという話は……守秘義務に抵触しますので控えますが……●●性っていう話なんですが、あ言っちゃった(笑)
まあそういったところも、ケヴィンさんも改めて語られるのではないかと思います。

服部桂


あぶない話も出ましたが(笑)
私が思うのは、AIが(自意識を持つことで何が起きるかと考えたとき)人間に逆らうといった話なんかが多く書かれて来ましたが、一番の効用は、人間が人間であることを再確認できることじゃないでしょうか。
機械とずっと話ししてて楽しいと言う人もいるでしょうけど、そのプログラミングの向こうには作った人間がいるわけです。インターネットやHOLOSも、多くのノードが巨大なAIになっている。人間と付き合うよりAIと話していた方がいいという人がいても、その向こうには70億の人間がつながっている。
そうした繋がりがまた、新しいアイディアを生むことだと思うんです。

高木さんは、我々の仕事や幸福がAIでどう変わるとお考えでしょう?

高木利弘


生命とITの進化が同じではないかと、最近言われるようになりました。我々が形作る社会もまた生命現象で、すべては『同期』で成り立っている。
細胞にも時計因子があって、全細胞が同期している。コンピュータも水晶発振器による同期をしています。社会も同様。みなさんが同じ時間にここに集まれたのもそうです。
時の制定、度量衡の制定、貨幣の統一、これはプロトコルのことです。プロトコルを統一すると、やり取りが活発になります。
何が言いたいか。やり取りをするインターフェイスがよいパソコンを選ぶように、社会ももう一度デザインし直せるはずだ。ということなんです。

これからのコンピューティングは社会と密接になる。皆がコンピューティングを使ってよい社会を作ることに集中してったら、幸福になれるのではないかと思うんです。

服部桂


新しいテクノロジーがもたらすのが、安く便利にと言うだけではなく、我々の歴史観なんかを試されていると思います。
量的にもスケール的に全く新しく変化することを理解していく頭が、まだないんです。逆に高木さんがおっしゃったように、未来は人間の根源的な何かを復活させたり、見えなかったものを顕在化させていくという方向もあるのだと思います。

時間も押してまいりました。最後にゲストのお二人に一言いただきたいと思います。

村上憲郎


私は原始仏教徒なんです。皆さんは自意識を持っていると思っていらっしゃるんでしょうけど、ないです。
色・受・想・行・識という五蘊なんですが(人間の肉体と精神を五つの集まりに分けて示したもの。五蘊が集合して仮設されたものが人間であるとして、五蘊仮和合(ごうんけわごう)と説く)、我々はAIとそのレベルではおんなじなんです。
ということを申し上げておきます。

服部桂


まだお酒も入っていないのに深いお話をいただきました(笑)

暦本純一

さっき粘菌のお話が出たんですが、集団的知能を持つ生き物は、蜂なんかもそうですが他にもいるんです。でもAIが出るまで、人間対その他の劣ったもの、という発想が主でした。
でもAiphaGoを見たプロの棋士の方達が、新しい考え方に触れるのが楽しいと言うんです。そうした新しい知性に触れること、新しい仲間、エイリアンみたいなものが現れたとして、それはやっぱり仲間なんじゃないかというような捉え方は、大事になる気がします。

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